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小林健二 (将棋棋士) : ミニ英和和英辞書
小林健二 (将棋棋士)[こばやし けんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 
: [に]
  1. (num) two 
: [しょう]
 【名詞】 1. commander 2. general 3. leader 
将棋 : [しょうぎ]
 【名詞】 1. Japanese chess 
棋士 : [きし]
 【名詞】 1. shogi player 

小林健二 (将棋棋士) : ウィキペディア日本語版
小林健二 (将棋棋士)[こばやし けんじ]
小林 健二(こばやし けんじ、1957年3月31日 - )は、将棋棋士。棋士番号123。香川県高松市出身。板谷進九段門下。竜王戦1組通算1期、名人戦A級通算4期。
==人物==

* 若手時代には矢倉を得意とするオールラウンダーだったが、1990年代になって四間飛車、特に立石流四間飛車と四間飛車穴熊を好んで指すようになった。その後、再びオールラウンダーに戻っている。相振飛車での左玉も得意。
* 四段時代の1977年、第18期王位戦の挑戦者決定リーグ戦に進出。白組で有吉道夫八段(当時)らを破り5戦全勝で優勝、挑戦者決定戦へ進出した。将棋界初の四段によるタイトル挑戦かと騒がれ、紅組で優勝した米長邦雄八段(当時)との対局も途中までは優勢であったが、終盤で逆転負けし、惜しくもタイトル挑戦とはならなかった。師匠の板谷進八段(当時)は対局前、負けたら記録係をやらせるとハッパをかけていたが勝利かなわず、中原誠王位と米長八段による王位戦第3局では本当に記録係を務めることとなった。
* 杉本昌隆と共に藤井システム登場以前の四間飛車の定跡発展に大きく貢献し、「スーパー四間飛車」の名で有名となり、著書を出版するとともに、NHK教育テレビの「将棋の時間」でも講座を担当した。自身も、その戦法で順位戦A級への復帰を果たしている。
* NHK杯トーナメントで時間切れとなり、30秒まで秒を読まれた後に、ブザーが鳴って負けとなる姿が放送されたことがある〔第46回NHK杯3回戦(1997年1月放送)小林健二八段対屋敷伸之七段〕。
* 趣味はゴルフ草野球など。関西将棋会館の野球部に在籍して活動した時期もある。
* 美川憲一のモノマネを特技とし、駒音コンサートなどで美川の扮装をして美川本人になりきり柳ヶ瀬ブルースを歌ったことがある。
* 1991年から、大阪市内で自身が主催する将棋教室を開いており、この教室から小林の推薦で奨励会入りした者もいる。
* 弟子に伊奈祐介島本亮岩根忍北村桂香らがいる。
*アマ強豪からプロ編入試験を受験し合格した今泉健司の最初の師匠(2回目の師匠は桐谷)であり、自宅近くに住む今泉に内弟子のように接した。才能がありながらプロになれず退会した今泉について「もっとビシビシ厳しく鍛えればよかった」と残念がった。2014年に朝日杯一次予選で師弟対決があった。小林は「よくがんばったね」「もっと序盤を勉強したほうがいい」とかつての弟子に声をかけたという。今泉のプロ試験合格の際も、テレビ出演などで元弟子を祝福した〔今泉さん大健闘 朝日杯将棋予選、プロに3連勝 朝日新聞 2014年9月9日〕。
* 2009年6月9日、順位戦C級1組田中魁秀九段戦で史上40人目となる通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。
* 将棋に対して真剣な態度で接する棋士の一人であり、将棋ファンや主催者への感謝の気持ちから、和服で対局にのぞむことが多い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小林健二 (将棋棋士)」の詳細全文を読む




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